人間の経験は、好きなときに変化を起こせるので、刺激に満ちています。 人間には自由意志があり、自己決定できます。人生に意味のある変化をもたらすために、劇的なことは必要ありません。些細な出来事や調整が大きな違いを生みだすのです。
このような変化の1つは、段階的な改善です。誰もが一定の能力を持って一定の水準から始めます。だから、自分の能力を受け入れ、他人と比較せずに「今改善に取り組んでいることについて、何ができるのか」と自分に問いかけることで、段階的改善の条件が整いいます。
段階的改善は、自分の手持ちのリソースを活用するだけなのです。小さいことから始め、些細な変化が生じれば、あなたの人生の改善過程が始動するのです。
私が好んで使う比喩が、くさびです。 くさびは、一方の端が細く、もう一方の端が太くなっています。最初に太い端をあてがっても、うまくいきません。しかし、細い端を小さな亀裂にあてがえば、めあての成果を得ることができます。精神修養を始めたいと思っていても、忙しくて何もできないという口実を自分で作ってしまい、実行できないでいるかも知れません。そんなときは、想像し得る最小の練習を行い、毎日、ほんの少し刺激を与えるようにします。そうすれば、あなたの前に何かが開き、作動し始めます。それが、精神的な修練の場所であり、魂に栄養を与える時間を過ごす空間になります。
初めは誰でも、無意識的で能力が低いことを知っておくことは有用です。自分の能力の低さに無自覚であり、為すべきことがあるということも知らないということです。外部から良い影響を受けることもあります。誰かが、人生を改善する練習方法を教えてくれたりします。そして、目を覚ました人は、自分が実際に特定分野では無能だと自覚できるのです。だからといって、人間が生まれながらに能力が低いというのではありません。ただ、能力が低いことを自覚していないだけです。しかし、いったん、それを認識し、練習を開始すれば、次には、意識的で能力が低い状態になります。
あなたが何かの能力が低いと気付けば、改善を行い、練習し、間違いを犯し、貴重な間違いとして修正しながら、徐々に水準を向上させ、意識的で能力が高い状態に達します。
この段階では、行動を要し、それも集中的に行う必要があります。意識的な行動ができるようになったら、次には、筋肉記憶が作動する無意識的能力による熟達の水準に入ります。これは、あなたの内部にあり、精神修養を含むすべての実践もそこで作動します。各段階の過程を体験する時間を過ごせば、あなたは最高水準に達するでしょう。
私が好む考え方の一つに「小さな習慣」があります。世界の潮流に流されるのはとても簡単ですが、その態度は無気力そのものです。たとえば、ある部屋を掃除する必要があって、その部屋が手に負えないほど大きい場合、どうしますか? 鉛筆1本でも何でも、小さいものから始めるのです。非常に小さいことから始める習慣を身につけるのです。運動の練習プログラムを始めようと思いついても、翌週にフルマラソンを走ったりしないでください。死んでしまいますよ。街路の一区画の端まで歩いて、戻ってきてください。そして、動けるようになったら、不活発な状態から脱し、負荷の高いこともできるようになります。精神修養も同様に、毎日できる重要な実践があります。たとえば、マントラを唱えること、聖典を読むことは、心を満たし、より高い水準に向けて知性を発達させるのに役立ちます。たとえ数分間であっても、これらの習慣は人生に浸透し、私たちを強くしてくれるでしょう。
自分が変われるという事実に気づいてください。そうすれば、これを毎日実践する方法を探すことができます。始めてみれば、自分が素晴らしい存在だと気付くでしょう。すべての人間は、自分自身を改善し、段階的な練習を通して向上していく能力を備えています。 だから、何が起こるか試してください。少し勇気を出して、自分を改善しようと意図的に何か行動すれば、自分でも知らなかった力が湧いてきます。ぜひ、やってみてください。
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